遺書

「光を拒絶する深海に近づけば近づくほど、浮き上がろうとするダイバーを下へ下へと引っ張る何かを感じます。それはまるで暗い世界に取り残してきた私の過去というのでしょうか、たまに顔を出しては現実をすべて食いちぎってしまおうとする、みせかけのやさしさだけが取り柄の、心の闇のように暗いものなんです。」

 あるダイバーが重々しく語ってくれた風景は、まるで縄を目の前にした自殺者の心境に似ている。
 やめようと思えばすぐにでも動いて準備したすべてを放棄できるのに、ずっと後ろから迫ってきた終わりにもうすでに追いつかれてしまった人間のことを考えてみてほしい。悲観するほかない現実に向き合う力をすべて失い、自殺という前進さえ躊躇してしまう無力感に突き落とされ、ただ過去を振り返るだけしかのこされていない、秒針の動きとの無言の格闘を。
 ダイバーのように海の上に帰る場所があると信じることができるのだとしたら、闇を無理にのぞきこんでまで知らない(知る必要の無いというべきか)深い底のありさまを知る必要などはまったく無い。では目の前の終わりをただ待ちつづけている人間にとって、深い闇の底はどのような意味を持つのか。彼らにとってそこは知るべきではなかった世界なのは言うまでも無い。
 自殺を選ぶ人間にとって、現実は受け入れるべき場所なのか否か、判断をする猶予は与えられていなかった。暗闇への招待という終わりは節目の終わりを経て始まりを用意していたのではなく、ただ「ここでおしまいです。」という純粋な意味での終わりでしかなかったのだ。
 私は自殺を目の前にした彼らを止めることはできない。もし自殺の準備をしている人間を目の前にしたら、道徳的、倫理的にはそれを引き止める用意をするのが正しい行為だというべきだろう。しかし私は彼らを止めることができない。
 それは私が説得をするための言葉を持ち合わせていないからではない。しかし理由は単純である。終わりがどのようなものなのか、彼らがその場所で見ている世界がどのようなものなのか、それがたとえ歴史に残る作家や哲学者の記述した言葉であったとしても私はそれを理解することができないという恐怖を恐怖のままで残したいからなのである。
 彼らの自殺を理解するということは、彼らの世界を知るということに他ならない。考えてみてほしい、闇の中に一人たたずんでいる人間がいたとしても、あなたには彼の姿を見ることはできないだろう。そこは闇の中だから、偶然入り込んでしまった存在にそこは暗すぎて、理解の届かないことばかりの世界なのだから。
 そこに踏みとどまることを強要されたとしても、できることなら目が慣れてしまう前にそこから立ち去るだろう。闇の中に無限の距離を置いて潜んでいる彼らの自殺を私は決して共有したくは無い、ただそれだけの理由で私は彼らをつき放ち、立ち去るほかは無いのである。
 もっとも誤解をしてもらいたくは無いのは自殺は正しい行為ということである。自殺は止めるべきものではあるが、ひとつの人間の行為として見届けるべきものである一面を持ち合わせているのではないか。目の前に唐突に現れた自殺という命題がどのような帰結を迎えるにせよ、その意味の純粋さが語る術を失った存在の中に新しい言葉をつむぎ出す最後の時間を与えてくれるのである。
 もしこのことが広く認識され容認されうるのだとするなら、その瞬間に私の仕事は全て終わるだろう。もしかするとあのダイバーとは違い、闇に引きずられる弱さに負けてしまうかもしれないが、終わりまでたどり着くこともできるかもしれない。今は後者の未来に軽い期待を抱いて、ささやかな言葉を記録してみようと思う。

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GloomyWind 2003/4/27
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